私は、今回の「骨太の方針2009」は、色々な意味で歴史に残る方針になるのではないかと思っています。財務省は、将来、増税せざるを得ないような環境を仕立て上げるために、確信犯的に大幅な財政出動に加担しましたが、消費税を増税するストーリーはそれほど簡単にいかないと思われるからです。日本列島はヤクニン・ドケンヤ・トシヨリのナワバリだと、
焦る財務省は、ポピュラリズムに乗っかって、相続税と法人税を増税する作戦を同時に進行させるでしょうが、その気配を感じている個人や企業は日本を見棄てることを決断していくに違いありません。
結論として、策に溺れた「骨太の方針2009」は、日本を斜陽に導く最後のダメ押しだったとして記憶されることになるのでしょう。嗚呼、合掌。
私は弁えています。
他人のナワバリに住み続けたければ、根源的には、
「ナワバリを仕切る方々に黙って上納金を納め続ける」
「ナワバリを仕切る方々と殺し合いをして勝つ」
の2つに1つしかありません。
(一時的にはその中間で決着が付いたように見えても、
いつか必ず消えなかった火種は燃え上がる。)
ナワバリを仕切るという既得権は、それくらい美味しく、
暴力以外で剥がせるような軽いものではないと、
私は弁えています。
それ以外の方法、例えば話し合いとか多数決とかで、
「あなたのナワバリで私に気持ちよくすごさせろ」
なんという厚かましい発言は、
女子供の戯言だと私は弁えています。
殺し合いをする覚悟もできてない私は、
黙って上納金を納め続けることで、
他人のナワバリに住むことになるのですが、
どの(だれの)ナワバリに住むのかについては、
それを選択する自由を持っています。
たしかに技能的・経済的な問題から、
現実的には選べない人が多いとしても、
選べる人が存在するナワバリに住むことが重要です。
不幸なのは選べる人が全く存在しないナワバリで、
そういったナワバリでは、そこを仕切る方々が、
「コイツらは何をやっても逃げ出さないだろう」
と住民を舐めきることによって、
ナワバリの統治環境が過酷なものになりがちです。
だから、
ナワバリを選べる一部の人が見棄てて逃げ出すことは、
ナワバリを選べずに留まる他の人のためにもなります。
ヤクニンとドケンヤとトシヨリしかいなくなったら?
ええじゃないか!ええじゃないか!

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